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ゲヘヘのchika郎、笑かしなやもう 2

チカオアーカイブ 過去にご馳走様して来た映画・ドラマ・本への感謝の念を込めて

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COFFEE AND CIGARETTES 映画レビュー50選(21)

監督: ジム・ジャームッシュ

 ジャームッシュ監督の短編集映画「COFFEE AND CIGARETTES」のご紹介。お洒落でエスプリが効いていて人生があって面白い作品です。
 この映画、短編集なんだけれど11のエピソードの中でchikaが最もお気に入りなのがルネ・フレン/E・J・ロドリゲスが登場する「RENEE」と、ラストを飾るビル・ライス/テイラー・ミードの「CHAMPAGNE(シャンパン)」。

 「RENEE」はコーヒーに入れる砂糖や飲み頃に異常な拘りを持つ謎のアンニュイ美女ルネと、ルネに近づきたくて仕方がない給仕の男がルネにコーヒーを闇雲に入れようとするお話。ルネがタバコをくゆらしながら一生懸命読んでいるのが拳銃のカタログ本だったりするのがおかしいし、そこから垣間見えるルネの謎の美女振りが楽しい。chikaもこんな感じが憧れ。

 「CHAMPAGNE(シャンパン)」は昼休みにコーヒーを飲みながらたわいない世間話に興じている二人の老人の話。
 コーヒーをシャンパンに見立てて乾杯した後「人生は楽しまなくちゃ駄目だよ。金と運が無くても想像力でな。さてと、ちょっと昼寝でもするか」
「おいおい昼寝って、後、5分も残っていないぜ、次は仕事なんだぜ」
 そんな相棒の言葉を無視して老人は椅子の上で眠り込んでしまう。
「おい起きろよ。冗談じゃないぜ。おい、起きろてば、、。」
 安らかに眠り続ける老人は一向に目覚める気配がない。
 気の合う友人に看取られて、贅沢は出来ずとも、(想像力で)人生を楽しみながら終えることが出来るならそれはそれで幸せだろう。
 この短編、老人二人が冒頭で実際には聞こえない音楽に耳を傾けて陶酔する描写があります。
 でも彼らは明らかに昔聞いた曲を思い出しているのであって、「想像」する為には最低一回の「体験」が必要ってことでしょうね。
 言い換えると最低一回の素敵な体験があれば、創造力によって人生は豊かになると、そういうことだと思います。


 この短編集に登場する人物は殆どが二人で、渋い掛け合い漫才みたいな会話だけで物語が進行します。
 映画タイトルの「コーヒー&シガレッツ」は、共通した場面設定であると共に、それぞれのエピソードに登場する二人の関係を言い表しているのかも知れません。
まさにコーヒーには煙草が付き物。
 「二人の関係」と言えば、友人・恋人・親戚・双子・兄弟から始まって、感情面では初対面の緊張・裏切り・駆け引き・嫉妬・心配、、とまぁ延々と書けるわけだけれど、その関係性って、コーヒーとタバコのように抜群の相性でありながら、身体に悪くって、それでも止められないという哀しさというか楽しさみたいなものがあります。
 タバコとコーヒーは「頭」に直接響く嗜好品の代表格だけれど、いずれも「中毒」という言葉が絡んでいる。
 カフェインにニコチン、人が自ら摂取さえしなければ、生きていく上でなんの必要性もないものばかり。
 ところがこれらの中毒になってしまうと「嗜好品」などという言葉の響き以上の重要度をもって、カフェインやニコチンは人生に関わってくる。
「コーヒー&シガレッツ」はジワ~っと効いてくる映画なんです。
 単純にゆるくて不条理ぽい笑いって、結構、そこいらに転がってるけど、これぐらい、後になる程「実は凄く上等なものだったんだぁ」って感じる映画も少ない。
 その上、ケイト・ブランシェットのCOUSINSなんかは、始め彼女が一人二役やってるのが判らなくて、、途中で、え~っ!?って感じでそれでも「いやまさか?」って疑ってたってぐらい演技の方でも魅せてくれますね。
 つまり一人が全くの別人を演じ分けるだけならまだありうるんだけど、「いとこ同士」という血のつながりで微妙に似ている部分も演じてるって所が凄い。
 この映画、ケイト・ブランシェットに限らず、出演者が微妙に豪華です。
 それもただ味のあるチョイスという事だけじゃなくて、出演者が監督の持ち味を充分に理解してる(逆の言いかただけど)所が実にいいんですよね。


STRANGE TO MEET YOU 変な出会い
  ロベルト・ベニーニ/スティーヴン・ライト

TWINS 双子
  ジョイ・リー/サンキ・リー/スティーヴ・ブシェミ

SOMEWHERE IN CALIFORNIA カルフォルニアのどこかで
  イギー・ポップ/トム・ウェイツ

THOSE THINGS'LL KILL YA それは命取り
  ジョー・リガーノ/ヴィニー・ヴェラ/ヴィニー・ヴェラ・ジュニア

RENEE ルネ
  ルネ・フレン/E・J・ロドリゲス

NO PROBLEM 問題なし
  アレックス・デスカス/イザック・デ・バンコレ

COUSINS いとこ同士
  ケイト・ブランシェット

JACK SHOWS MEG HIS TESLA COIL ジャック、メグにテスラコイルを見せる
  メグ・ホワイト/ジャック・ホワイト

COUSINS? いとこ同士?
  アルフレッド・モリーナ/スティーヴ・クーガン
10
DELIRIUM 幻覚
  ウータン・クラン(2役)/ビル・マーレイ
11
CHAMPAGNE シャンパン
  ビル・ライス/テイラー・ミード





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TIGER & BUNNY

『ども、腕や脚は、永久脱毛してる方のキャバです。
 Full of courtesy, full of craft!!』

 ・・・・うーん全25話、堪能させてもらいました。『TIGER & BUNNY』、面白かったぁ。
 ただし正直言って、初回からスッ飛ばしていた高クォリティの作画が、中盤以降、人物デッサンガタガタの屑寸前になりつつあったのは悲しかったです。
 特にバーナビーが親の敵とした強敵ジェイクとの闘いを目の前にして、登場人物の顔がみんな馬面になったのには閉口。(アニメって制作状況が苦しくなると、顔のアップがやけに多くなるんですね)
 それでも視聴意欲は減退せず、こちらをグイグイ引っ張っていったのは、一重に、脚本と声優さん達の魅力のせいでしょう。
 ただし『TIGER & BUNNY』のストーリー自体は、特別、独自性に富んだものではなく、大ざっぱに言ってみれば、「X-MENとバットマンを足してウォッチメンをかけて、ついでにリーサル・ウェポンリで割ったらこんなの?」って感じで、作品の大きなテーマを、見てる者に突きつけて来るなんてものじゃありません。
 物語の進行中には、何度も「ヒーローって何だ?」みたいな提起や、ドメスティックバイオレンス描写とか、親殺しのシーンさえありますが、それだって、あくまで「飾り」みたいなものです。
 で、そんな継ぎ接ぎ物語の『TIGER & BUNNY』の主題とは?、そう、タイトル通り、タイガーとバーナビーの人間関係の「変化」そのものなのです。
 それも、人間関係が良くなったか、悪くなったか、という事ではなくて、「変化」そのものなんですね。
 これって人生と同じですね。一人で生まれ落ち、一人で死んでいくまで、人は多くの人々と出会って、その都度変わっていく生活の元、自分の心も相手の心も刻々と変わっていく。泣いて笑って、又、泣いて、信じてみたり、絶望してみたり。
 別にこれ!と言った正解があるわけでもなく、生きていく中で、人との関係を編みつつ、人は変化していく。
 その変化の中で、胸を熱くさせる出来事があれば、人は自分が生きている実感をより強く感じる事が出来る。
 そしてそれを更に凝縮して、劇的に目の前に提示してくれるのが、スポーツであったり文化であったりするわけですね。
 そう考えると、小説や演劇・映画・映像ドラマに登場する「バディ」モノと呼ばれる分野は、かなり身近で判りやすい表現テンプレなんですね。
 実質的にこのドラマの脚本担当だった西田征史氏の職歴背景を見ていると、氏自体がお笑いコンビを組んでいた時期もあるんですね。
 そう、漫才だって考えて見れば、一種のバディモノなんですね。
 ボケと突っ込み、二人の間にかわされる掛け合い、つまり微妙な「変化」を、観客は味わっているわけです。
 漫才って、「笑い」が第一目標みたいに見えるけれど、実は、笑い自体が、「変化」の生み出す直接的なエネルギー、あるいは結果と言えるかも知れない。


 この物語の設定上、牛角と虎徹は親友とあります。実際、そういった場面が数回、ドラマの中でも挿入されるのですが、バニーと虎徹は友達じゃないんですね。
 あくまでバディ、つまり、嫌でも二人で一つの任務を遂行しなければならない関係。非常に小さな運命共同体であるわけです。
 で、年上である虎徹は、心理的には保護者的な感覚でバニーに接するわけだけれど、性格的な差を含めて、現実的な物事に対する処理能力は、バニーの方が上なわけで、それが二人のバディ上に微妙なギャップを産むことになる。
 このギャップの解消が、バディ成立に向かって不可欠なわけで、それが「変化」として表面化してくる。
 『TIGER & BUNNY』が魅力的なのはこの「変化」が通り一遍のバディモノとは違って、「恋愛」感覚を含む、重層的な構造になっている部分なのだと思います。
 視聴者に対して表面的にはアピールされませんが、虎徹のバニーに対する保護者的な愛情に、異性愛的な部分が微妙に入り交じっていて、それが「ホモセクシャル未満」のあやうさの魅力を醸し出しているようです。
 ヒーロー群の一人、「ファイヤーエンブレム」の存在は、その目眩ましとして上手く機能しているように思います。
 「ホモセクシャル未満」の魅力と言えば、バニーの美青年ぶりは勿論ですが、寧ろ、彼に「女性性」を与えているのは、バニーが抱えている悲劇と、記憶の混濁による情緒の不安定さなんだろうと思えます。
 特に平時のスーパーウェポンぶりに対して、崩れた時のエキセントリックなバニーは、映画「リーサル・ウェポン」に登場する、妻に先立たれた自殺願望者のマーティン・リッグスのようです。
 そんな彼をフォローしてやるのは、幸せな家庭を持つマータフ、つまり虎徹ですね。
 このバニーにバディとして配置される虎徹は、密かに自分に恋心を寄せるブルーローズに、自分の娘以上の感覚を抱けない鈍感振りを振り当てられています。
 娘にも妻にも母にも親友にも、それぞれ愛情を振り向ける虎徹の博愛ぶりは、ヒーローとしての基盤資質であると同時に、何処か愛情感覚の混濁さえ思わせるものがあります。 作者に言わせると虎徹は「寅さん」をイメージしたとの事ですが、映像的な仕上がりを見ると、この虎徹、映画ダイハードのジョン・マクレーンを、「超ハートフル・ドジ」にアレンジした感じですね。
 そしてこの二人の関係が事件を追う毎に変化し、バディとして成立して行く成り行きを見ていると、何処かで、恋愛物語を眺めているような切なさを覚えるわけです。

 初めに『TIGER & BUNNY』は、特別な独自性がない物語と書きましたが、最近、「オリジナリティ」というものは、良質の作品を創り出す為の最大要素ではあっても、必須要素ではないのではないかと思う事がよくあります。
 身も蓋もない言い方をすれば、既存の物語パーツの寄せ集めであっても、それがちゃんと丁寧に心を込めて組み立ててあれば、充分、消耗品以上の品質を持った娯楽作品になるということです。


PS 『TIGER & BUNNY』には魅力的な人物が多数登場します。敵方のジェイクでさえ悪の魅力に溢れた造型です。chika的に好みなのは、ルナティックが一番ですね。本人の人物設定を考えると、ビジュアル的な部分を含めてルナティックのマスクデザインは秀逸だと思います。
特にデッサンが狂い始めた中盤、このルナティックのどアップシーンになるとchika、あまりの怖さに泣きそうになりましたもん(笑)。
 で二番手はメカニック担当の斎藤さん。「声が小さい」、うーん、よく拾って来ましたね、このネタ。素晴らしい!!









見なくても死ねる(2) 「FULL METAL 極道」

監督:三池崇史

 このレビューのカテゴリーは「見なくても死ねるよ」。
 そうミステリー愛好家内藤さんの名台詞、「読まずに死ねるか!」を、映画版にもじって超B級映画を紹介するもの。
 ただし、今日ご紹介する映画は一概にB級とは言えません。と言っても決して佳作でもないんだけど(笑)。
 まあその区分けが難しいのが三池崇史監督作品の特質なんです。
 後、付け加えておきたいのは、このレビューに限らず、それぞれの感想が書かれた時期が異なります。
 昔書いたのもあれば、最近書いたのも。これはかなり昔ですね。
 このレビューの最後に登場する北村一輝さんは、今は押しも押されぬ個性派中堅俳優さんです。

ってことでここからが本文。


  あの格言おじさん(シーザー武志)が、渋い兄貴を!!三池監督ってどこか世の中を面白がって見ている視線があるのよね。
 それでもって拗ねているわけでもない、大人になったやんちゃ坊主ぽい所が大好き。
「フルメタル極道」の描くやくざの世界、のっけからなんてお馬鹿なんだろう。
 これぐらいの(馬鹿さ加減)で飛ばしている時の三池作品は、安心して見ていられるし、とにかく楽しめる。chika、三池作品のデッドラインは「ここなんだ」って、この作品を見て発見したよ。
 主人公であるへたれやくざのうじきつよしが、後半サイボーグ化して組織になぐり込みをかけるんだけど、この監督の事だから必ず遊びを入れるのね。
 たとえばメタル装甲が完全じゃないから拳銃に対する防御姿勢が「アラ、イヤーン」ポーズになるわけ。
 それを見て、今まで変身した先輩の戦いぶりに感動してた後輩が「はぁ?」って表情をつくるのね。
 このシーンで判るように、この時点では三池監督、映画の中で観客に自分の悪ふざけを「説明」しようという意志がまだあるわけなのね。
 でも最近の三池監督はもうこの説明をしなくなってる。
 だから見てる人間がコレにはまる時には、余計な説明がない分だけ、すごく映像的にドライブするんだけど、「勝手にしてよ、もうわかんない。一人で遊んでなさい。」状態になると、映画自体がとんでもない印象になっちゃうのね。
 「フルメタル極道」は、ちょうどこの「悪ふざけ」の塩梅が多いか少ないかの分岐点になる作品なんじゃないかな。
 まあ三池監督の悪ふざけ論については、これだけにしておいて後は「フルメタル極道」の見所をランダムにご紹介。
 もしもグラムな矢沢栄吉がいたとしたらこんなファッションするんじゃないかというマッドサイエンティスト平賀玄白(田口トモロヲ)が素敵。
 この平賀が、うじきに与えたサイボーグ体のチープな造形がこれまた、気持ちいい。
 その他、うじきの正統派極道・土左さんのちんちんへの憧れ、あるいは憧れの彫り物、変じてメタル装甲への彫金。
 (田口トモロヲが諸肌脱いだうじきの背中に馬乗りになって電気ドリルで入れ墨ならぬ彫金をするシーン、本来コミカルな場面の筈なんだけれど妙にエロチック)
 うじきが復讐を果たして長ドスではねたボスの生首が、サッカーボールよろしくドキューンと盛り場のネオン瞬く夜空を飛んでいくシーンは下手な劇画作家だって描かないって。このチープさ加減がホントに大好き!!
 映画後半は、土左さん一家の墓がある海岸で、うじきの修行僧のごときルンペン暮らしが延々と、、。
 一体この展開はなんなんだよ~。と思っていると、土左さんの女(中原翔子)がやってきてうじきの純情話に展開。
 でこの女が土左のかたきを討とうと、ゴルフのキャディさんに化けて敵に突っ込んでいくんだけど、あえなく捕まえられるわけ。(この女優さん、ほんとに色っぽい。)
 そんでもってSM調教されちゃうのね。ボンデージ衣装を着せられボールギャグをかまされ、、うーむ、、すっごくいいのね、このシーンが。
 なんてのかなぁ、、本物のやくざが、アダルトショップで買ってきた小道具で、拉致してきた女をいたぶっているっていう感じのリアル感がすごくあるのよね。
(三池監督の作品には、こんなシーンがおまけみたいに必ず一つはあるよ。どれも凄く感じる。たぶん女優さんの起用が巧いのと、男色への理解の深さが、女性への加虐のリアルさを生むんだろうなぁ。)
 この土左の女、最後に自分で舌を噛みきって自害しちゃうんだけど、これ又、三池監督は真正面からこのシーンを撮ろうとするのね。
 絶対、トリックというか不自然さが映像的には出るんだけど、この監督がこんなシーンを撮ると何故か成立しちゃう訳。
 力業というのかエネルギーというのか、、(chikaがこの監督に惚れるのはこの部分なんだけど)凄い。
 そして衝撃のラスト。(人によっては意味不明とも、、、。chikaは、「こんな感じにして終わっときゃまあいいか。」くらいのエンドシーンだと思うけど。)

PS この映画、うじきが実に「いい人」で、無茶苦茶はまり役でいう事なし、でも個人的に注目なのは、胴体上下まっぷたつにされながらも最後まで極道してた北村一輝。
 日本黒社会でも主役はってたけど、こっちの方がいいかも、黒社会の主人公を演じるのは、若い人にとっては素に近いぶん、誰がやっても難しいんじゃないかな。
 この「フルメタル極道」では典型的な「若き極道」っていう空想的なモデルが先にあるから、彼はそれをターゲットに好きにやってたみたい。
 でその分、彼の魅力が十分に味わえたように思う。
 たとえば「本当は優しいっていう顔をしながら、結局自分の事しか考えていない冷血漢」なんてのは、なかなか今若い人には演じられないのよね。北村一輝、chika注目の人です。




THE MASK CLUB

 村上 龍 

 本書が「ダヴィンチ」に連載されていた頃の装丁というか紙面構成は酷いモノで、デザインばかりが全面に出て、肝心の文章が全く読めなかった。
 誰がこういう紙面構成を考えたのか判らないが、昔からこういうスタイルがファンション雑誌などにまま見受けられて、どうもそれがスタイリッシュだと思っている節がある。 しかし「ダヴィンチ」のような書籍に特化した雑誌でこんな最低の事をし続けているのは、作家にも読者にも侮辱的な行為だとchikaは断じたい。
 まあそれも「村上龍」というスタイリッシュな作家性故の事なのかも知れないが、、。
 いつも思うけれど、村上龍はとても饒舌な時代の語り部だ。
 本書にも出てくる「この国の男達はとてもナィーブになってしまった」などという台詞は、あまりにも判りやすくて、読み手にとっては当たり前のように思うかも知れないけれど、実際にはちょっとやそっとでは出てくる言葉ではない。
 小説の前半、物語の進行役が「死者」に設定されている事が新味のように言われているが、これは椎名誠が既にやっている。
 このアイデアより村上龍の特質はサイケデリックなビジュアルにある。
「蝶の背に乗って」の章あたりのミクロの視点は、美しいグラビアのある科学雑誌に欲情しているようでとても魅力的だ。
 SF映画の名作に人間がミクロ化して人体に潜り込む「ミクロの決死圏」という映画があったが、あれにエロスを感じる人は、当然本書でも同じ感覚を味わう事だろう。
 そして村上龍はSMやビザールシーンの描写が本当に巧い。
 それって、作家自身がこの世界にかなり日常的に接近していないと書けない肌触りも含めてのほめ言葉なんだけど、そんな事、村上龍にすれば余計なお世話かも知れないね。
 そういった現場の匂いの描写に加えて、「マゾヒストは基本的に生命を崇拝するものだ。宗教などと違って死を崇拝したりしない。」とかいう台詞をかぶせてくる所が作家としての技なんだよね。
「男の顔を足の裏で踏んで、初めて、その足が自分の肉体であると気付く」という台詞を「可愛そうな」SM嬢に吐かせてみたり、、まあここまで行くとちょっとやりすぎかと思うけど。
「考えてみれば当たり前の事だが、人が他人を支配できる訳がない。」という内部思考が同じ主人公から聞こえ出す辺りからSM嬢=村上龍になっちゃって興ざめだけど、これはどんな作家だってそうなんだ。
 でも村上龍の場合は、それが妙にエロチックで違和感がないのがいいんだよね。
(勿論、この辺りが感覚的に嫌いな人は、これが原因で村上龍を受け付けられないんだろうけど。)
 おそらく男性作家である村上龍は最初「死者」の「男」の視点で、物語を書いているはずで、それが途中でSM嬢にトランスしてしまう。
 で最後に、SM嬢として「おい、近藤、聞こえるか。消えろ。」と死者の男を虫けらみたいに吹き飛ばしてしまうのだ。
(これは「イビサ」と同じパターン。いつどうやってこの発想が村上龍の中に生まれたんだろう。この部分については興味津々。)
 作家村上龍の精神分析をする積もりはないけれど、この作品に彼自身が「社会性」云々をテーマとして付加するのは少し偽善を感じてあまり好ましい事とは思えない。(と言うか無理があると思う。)
 日本の男性の失墜ぶりを女性の視点で巧く描いた彼の作品はほかにもあるしね。
chikaはこれを純粋にSM小説として読む方がずっと面白いような気がするんだけど、、。


PS 栞のラバーマスクプレイの描写は淡泊だったけど、「あったあった」って感じですっごくリアル。ラバーフェチからするとこういうラバーの小道具的は使い方はちょとなーって思うけど、確かに感覚遮断と羞恥プレィにラバーマスクはぴったりだものね。







傷だらけの天使 映画レビュー50選(20)

監督: 阪本順治

 映画「顔」で阪本順治監督をかなり好きになって、監督の作品を逆にたどって見ているんだけど、、これより先に「ビリケン」を見るべきだったかな?とちょっこと後悔。
 豊川悦司と真木蔵人のコンビは好きだし、何よりTV版のショーケンと水谷豊の「傷だらけ」が好きだしねぇ、そういった意味では、この映画言うことない筈なんだけど、、。
 元祖「傷だらけ」の冒頭、ショーケンが牛乳飲むシーンなんかは理由もなにもなく、もう刷込まれたようにchikaの心に印刻されているんだよね。
 この続編が見たいという欲望で映画作っちゃったのが阪本順二監督、って話しもある位だし。
 「傷だらけ」の世界を「今の時代」「今の俳優」で取り直しリニューアルするってことを考えると、豊川悦司と真木蔵人はキャストとしてかなりイイ線行ってるんじゃないかなぁ。
 真木蔵人のプロサーファー云々っていうバックグラウンドも、バタ臭い顔(ハーフだから当たり前か)も、平成ユタカにピッタリだと思う。
 トヨエツ(ミツル)も、みちのくプロレスのシーンで少年「蛍」の手前、無理無理で頑張っちゃう姿は確かにショーケンのりだし。
 そしてミツルとユタカの関係。確かこの映画には「友達以上ホモ未満」ていうキャッチコピーがあったと思うけどぴったしだね。
 彼らの「一緒につるんでいたい」ていう気持ちは恋愛感情にも似てるし、今つるんでいたって、それが永遠に続く訳じゃないっていう予感は、男同士の間には確かにあるしね。
 父方の祖父に引き渡した「蛍」との別れの後、ユタカが「俺達もきれちゃうのかなぁ。」ってさりげなく言うシーンが、終末に結びついていく隠されたハイライトなんだろうね。
 ここは判る人には胸が痛くなるシーンだろうと思う。
 映画「ブエノスアイレス」のウィン(レスリー・チャン)はどうしようもない悪女だったけど、ミツルは自ら身をひこうとする悪女なのかなぁ。ここ辺りが「ホモ未満」故か、、、。
 ・・で、ここまで良いことばかり書いていて、それ以上この作品に惚れ込めないのは、映画自体が一本調子過ぎるからなんだよね。
 「蛍」との別れなんかで思い切り盛り上げて、そのあともこれでもかって感じでやろうと思えば話を組み立てられた筈なのに、、実際には結構「平坦」って感じで話が流れていくんですよね。
 青春ロードムービーの新しい形って感じで、気取ってわざと平坦にしてラストをぶつ切りにしてあるのかなぁ、、。
 でもその割には、みちのくロードムービーとして結構狙った、ぐっと来る場面が随所にあってさ、青森の温湯温泉にミツルとユタカが忍び込んで入浴しようとするシーンなんかもう最高だし。
 結局、俳優さんに下駄を預けて、演出とか脚本・構成で仕掛けるのを控えてるみたい、、。
 それが乾いた感じで好もしく思える時と、物足りなく感じる時に分かれてしまうわけ。
 でもやっぱ「傷だらけ」は、あざといぐらい心を揺さぶってくれる方がいい世界なんだよね、、。
うーんこの映画、大好きだけど物足りないんだよー!!

PS chikaのWeb小説「目川探偵事務所物語」は、正に、この「やくざな私立探偵が事件を追って東北を縦断するロードムービー仕立て」の小説。完全、探偵とその弟分も含めて、この映画とテンプレ同じじゃん(笑)。









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