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ゲヘヘのchika郎、笑かしなやもう 2

チカオアーカイブ 過去にご馳走様して来た映画・ドラマ・本への感謝の念を込めて

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ 映画レビュー50選(4)

c301d000_142.jpg  「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」が、そのまんまの音楽ドキュメンタリー映画だと気づかず、「この材料で映画が一本とれる。すごいもんだな。ヴィム・ヴェンダース。」と最初からとぼけた勘違いをしてた私。
 でもコンパイ・セグンドの「恋心を胸に抱き、東部の街からハバナへ向かう若者の想いを歌った曲チャン・チャンがバックで流れる冒頭では、まだロードムービーが始まるのではないのかというお馬鹿な期待を捨てない私でもあった。
 ハバナの海岸縁を走る道路に波頭が砕け散り、そこを古いアメ車が通り抜けていったり、、、。
 キューバの路上の犬は、なんだか勢いを感じさせる風格があるなぁとか、いたる所でヴィム・ヴェンダースの映像的意志を嗅ぎ取ろうとしたり。
 して、本当のこの映画の実体は「ハバナで二枚目のアルバムを録音していたライから、一度来てみないか、と電話があって、ほとんど事前準備もなく少数のスタッフと現地に行った」とヴェンダース監督が振り返るような制作体制だったようだ。
 後半、老音楽家達の奔放で魅力あふれるアムステルダムのコンサートや、ニューヨーク・カーネギーホールでの歴史的なステージの模様も描いているが、これも撮影開始時には予定されていなかったことだという。
 確かに、部分的には平凡な音楽ドキュメンタリーに過ぎない映像カットも多いのだけれど、全体を見ればやはりヴィム・ヴェンダース映画になっているという不思議な完成度を持つ映画だ。
 この感覚が見る側に生まれる原因は「撮影に際して唯一の基本としたのは、音楽それ自体に語らせること。私の考えを示すのではなく、彼ら自身の姿を追い、語ってもらった。素晴らしいミュージシャンたちをより多くの人に紹介したかった」というヴィム・ヴェンダースの眼差しと、何にもまして、この老音楽家達自身の存在感にあるのだと思う。
 「チャン・チャン」を始め「恋」の歌が数多く登場するが、それらをこの老人達が歌い奏でても、違和感もなんのいやらしさも感じさせない。むしろ若者や熟年の世代が歌うより純粋で熱っぽく、なにか恋を超えて違うものを歌っているような気にさせさせてくれるのである。
 (私は老人が「老人」であるが故に自動的に「人生の達人」であったり「高尚な存在」であるなどとは思っていない。老人はそういうチャンスを多く得た存在ではあるが、、念のため。)
 イブライム・フェレールが、インタビューの中で彼自身の信仰を語る場面があって、それが弱者の立場の可能性を開く「ものもらいの神・聖ラサロ」だという部分で、彼の素朴さを強く感じた。
 又、映画の後半に「歌では何も救われないと思えたときがあって暫く歌から遠ざかった」という彼の独白に、彼の「歌」の練度を感じさせられもした。
 「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」ではミュージシャン9名のインタビューが織り込まれるが、(この辺りの演出や撮影はライ・クーダーそのもの)彼らがいかに音楽と共に生きたのかがよくわかる。
 この映画はそんな彼らと「音」が主人公なのである。

 ビートルズが一時インド音楽に傾倒したのは有名だけど、ライ・クーダはキューバミュージックに身を寄せた訳だ。
 ブルースから始まって彼のボトルネック奏法(ラウーって楽器は面白いね。ブルージーなハープシコードギターかな。)って感じを考えると、キューバミュージックに合流して行く事はすごく自然なことだろうなと思う。
 でも本編のライ・クーダが老音楽家達に見せる気遣い、やさしさ・共感は半端じゃないね。

 繊細で地味だがパワーに満ちているキューバミュージックの音・音。
 そしてヴィム・ヴェンダースの渋くて綺麗な映像。
ビデオで鑑賞ならヘッドホンとアルコールの入ったグラスをお忘れ無く、、、。






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