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ゲヘヘのchika郎、笑かしなやもう 2

チカオアーカイブ 過去にご馳走様して来た映画・ドラマ・本への感謝の念を込めて

TIGER & BUNNY

『ども、腕や脚は、永久脱毛してる方のキャバです。
 Full of courtesy, full of craft!!』

 ・・・・うーん全25話、堪能させてもらいました。『TIGER & BUNNY』、面白かったぁ。
 ただし正直言って、初回からスッ飛ばしていた高クォリティの作画が、中盤以降、人物デッサンガタガタの屑寸前になりつつあったのは悲しかったです。
 特にバーナビーが親の敵とした強敵ジェイクとの闘いを目の前にして、登場人物の顔がみんな馬面になったのには閉口。(アニメって制作状況が苦しくなると、顔のアップがやけに多くなるんですね)
 それでも視聴意欲は減退せず、こちらをグイグイ引っ張っていったのは、一重に、脚本と声優さん達の魅力のせいでしょう。
 ただし『TIGER & BUNNY』のストーリー自体は、特別、独自性に富んだものではなく、大ざっぱに言ってみれば、「X-MENとバットマンを足してウォッチメンをかけて、ついでにリーサル・ウェポンリで割ったらこんなの?」って感じで、作品の大きなテーマを、見てる者に突きつけて来るなんてものじゃありません。
 物語の進行中には、何度も「ヒーローって何だ?」みたいな提起や、ドメスティックバイオレンス描写とか、親殺しのシーンさえありますが、それだって、あくまで「飾り」みたいなものです。
 で、そんな継ぎ接ぎ物語の『TIGER & BUNNY』の主題とは?、そう、タイトル通り、タイガーとバーナビーの人間関係の「変化」そのものなのです。
 それも、人間関係が良くなったか、悪くなったか、という事ではなくて、「変化」そのものなんですね。
 これって人生と同じですね。一人で生まれ落ち、一人で死んでいくまで、人は多くの人々と出会って、その都度変わっていく生活の元、自分の心も相手の心も刻々と変わっていく。泣いて笑って、又、泣いて、信じてみたり、絶望してみたり。
 別にこれ!と言った正解があるわけでもなく、生きていく中で、人との関係を編みつつ、人は変化していく。
 その変化の中で、胸を熱くさせる出来事があれば、人は自分が生きている実感をより強く感じる事が出来る。
 そしてそれを更に凝縮して、劇的に目の前に提示してくれるのが、スポーツであったり文化であったりするわけですね。
 そう考えると、小説や演劇・映画・映像ドラマに登場する「バディ」モノと呼ばれる分野は、かなり身近で判りやすい表現テンプレなんですね。
 実質的にこのドラマの脚本担当だった西田征史氏の職歴背景を見ていると、氏自体がお笑いコンビを組んでいた時期もあるんですね。
 そう、漫才だって考えて見れば、一種のバディモノなんですね。
 ボケと突っ込み、二人の間にかわされる掛け合い、つまり微妙な「変化」を、観客は味わっているわけです。
 漫才って、「笑い」が第一目標みたいに見えるけれど、実は、笑い自体が、「変化」の生み出す直接的なエネルギー、あるいは結果と言えるかも知れない。


 この物語の設定上、牛角と虎徹は親友とあります。実際、そういった場面が数回、ドラマの中でも挿入されるのですが、バニーと虎徹は友達じゃないんですね。
 あくまでバディ、つまり、嫌でも二人で一つの任務を遂行しなければならない関係。非常に小さな運命共同体であるわけです。
 で、年上である虎徹は、心理的には保護者的な感覚でバニーに接するわけだけれど、性格的な差を含めて、現実的な物事に対する処理能力は、バニーの方が上なわけで、それが二人のバディ上に微妙なギャップを産むことになる。
 このギャップの解消が、バディ成立に向かって不可欠なわけで、それが「変化」として表面化してくる。
 『TIGER & BUNNY』が魅力的なのはこの「変化」が通り一遍のバディモノとは違って、「恋愛」感覚を含む、重層的な構造になっている部分なのだと思います。
 視聴者に対して表面的にはアピールされませんが、虎徹のバニーに対する保護者的な愛情に、異性愛的な部分が微妙に入り交じっていて、それが「ホモセクシャル未満」のあやうさの魅力を醸し出しているようです。
 ヒーロー群の一人、「ファイヤーエンブレム」の存在は、その目眩ましとして上手く機能しているように思います。
 「ホモセクシャル未満」の魅力と言えば、バニーの美青年ぶりは勿論ですが、寧ろ、彼に「女性性」を与えているのは、バニーが抱えている悲劇と、記憶の混濁による情緒の不安定さなんだろうと思えます。
 特に平時のスーパーウェポンぶりに対して、崩れた時のエキセントリックなバニーは、映画「リーサル・ウェポン」に登場する、妻に先立たれた自殺願望者のマーティン・リッグスのようです。
 そんな彼をフォローしてやるのは、幸せな家庭を持つマータフ、つまり虎徹ですね。
 このバニーにバディとして配置される虎徹は、密かに自分に恋心を寄せるブルーローズに、自分の娘以上の感覚を抱けない鈍感振りを振り当てられています。
 娘にも妻にも母にも親友にも、それぞれ愛情を振り向ける虎徹の博愛ぶりは、ヒーローとしての基盤資質であると同時に、何処か愛情感覚の混濁さえ思わせるものがあります。 作者に言わせると虎徹は「寅さん」をイメージしたとの事ですが、映像的な仕上がりを見ると、この虎徹、映画ダイハードのジョン・マクレーンを、「超ハートフル・ドジ」にアレンジした感じですね。
 そしてこの二人の関係が事件を追う毎に変化し、バディとして成立して行く成り行きを見ていると、何処かで、恋愛物語を眺めているような切なさを覚えるわけです。

 初めに『TIGER & BUNNY』は、特別な独自性がない物語と書きましたが、最近、「オリジナリティ」というものは、良質の作品を創り出す為の最大要素ではあっても、必須要素ではないのではないかと思う事がよくあります。
 身も蓋もない言い方をすれば、既存の物語パーツの寄せ集めであっても、それがちゃんと丁寧に心を込めて組み立ててあれば、充分、消耗品以上の品質を持った娯楽作品になるということです。


PS 『TIGER & BUNNY』には魅力的な人物が多数登場します。敵方のジェイクでさえ悪の魅力に溢れた造型です。chika的に好みなのは、ルナティックが一番ですね。本人の人物設定を考えると、ビジュアル的な部分を含めてルナティックのマスクデザインは秀逸だと思います。
特にデッサンが狂い始めた中盤、このルナティックのどアップシーンになるとchika、あまりの怖さに泣きそうになりましたもん(笑)。
 で二番手はメカニック担当の斎藤さん。「声が小さい」、うーん、よく拾って来ましたね、このネタ。素晴らしい!!








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