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ゲヘヘのchika郎、笑かしなやもう 2

チカオアーカイブ 過去にご馳走様して来た映画・ドラマ・本への感謝の念を込めて

御法度 映画レビュー50選(8)

 御法度、、、。  なんと言ってもあの大島渚監督作品なのである。
 たまたまTVで、映画「御法度」撮影風景のレポートがあり大島監督を見た。
 脚を引きずっていた、、もう老人の身体だ。
 当たり前だけど、、人は老いる。表現者であっても老いる。
 枯れることによって美しさが増す「表現」もある。けれどそうでない「表現」も確かにある。
 体力そのものとは言わないけれど、一種の肉体的なエネルギーを不可欠とする「表現」が。
 ホモセクシュアルのテーマは、「表現」として、モラルの問題を越えて、難しいものを内包していると思う。

 「御法度」は、幕末の京都で市中警護の任務に当たった新選組の内部が舞台。
 大島監督は、こういった精神的に閉じられた設定がお好みのようだ。
 「御法度」と呼ばれる鉄の規律で自縛された男たちの集団が、1人の美少年の入隊によって揺らいでいく。
 映画の中には歴史小説に登場するような新選組の活躍も、幕末の混乱した世相もほとんどでてこない。
 人斬りを仕事とする新選組の男たちが、同性愛のエロティシズムに身をゆだね、焦げ臭い匂いを放ちながら、狂い、嫉妬と疑心暗鬼に囚われる。
 この作品、屋敷や道場などの舞台装置装飾にも凝っているらしいが、門外漢のchikaには、そのあたりの「値打ち」はピンとこない。
 ただ映画の終盤の、「河原」は確かに効果的だったと思う。
 濃密な霧は、演劇の舞台装置ではスモークやドライアイスのお世話になるが、そのいかがわしさを、わざわざ今回、映画に持ち込んだのは、この映画をより昇華させるに当たって実に効果的だったと思う。
 あの場面が、あったから、桜の木を切ったビートたけしの所作が歌舞伎の「みえをきる」ように決まった。
 それと「御法度」のたけしは、どことなく今までの映画俳優「たけし」と違ったような気がする。
 土方の独白という形で映画が進む関係上、「たけし」は内面を語らざるを得ない。
 これは、今までの、「寡黙さ」のスタイルをもって、内なる狂気や純朴を見せた俳優「ビートたけし」のつくりではない。けれど、このたけしも、危なげなく観れたと思う。

 勿論、加納惣三郎を演じた松田龍平についても語らねばならない。
 前宣伝では龍平が飛び抜けた美少年であるかのように煽られているが、美形ぶりでは同年代の少年で、いくらでも彼を上回る者が数多くいるに違いない。
 松田龍平が、照明や撮影角度で少女のような美貌に見える事もあるが、彼のベースはどちらかというと骨太の男ぽい顔立ちだろう。
 それがどんどんエロチックになって行く。
 (上映中、角度によって彼の父親の面影と母親のそれが交錯して見えるのも、とてもドキドキさせられる体験だが。)
 夜道で監察の山崎蒸を誘惑するあたり、龍平扮する加納惣三郎は女を詰め込んだ男になっていた。
 考えてみると「御法度」が本道の「ゲイムービー」なら龍平はミスキャストであったろうし、日本古来の土壌にある「衆道」だからこそ、年若き龍平がはまったのかも知れない。
 そして、勿論、この松田龍平を加納惣三郎に当てた大島渚の慧眼と、監督力は言うまでもない。
 大島渚は、、「制度の中のエロス」をまだ撮れる。
 大島渚は、この時点ではまだまだ枯れてはいない。

PS 映画監督の大島渚(78)が脳出血で倒れたのは1996年2月。
 一時は快方に向かったが、8年前、再度倒れて、楽観は許されなくなった。
 以来、妻である女優・小山明子さんの介護を得て闘病中。


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