マルホランド・ドライブ 映画レビュー50選(17) 映画レビュー50選 2012年03月24日 0 監督・脚本:デビッド・リンチ 純粋な感想からまず一言。ナオミ・ワッツの演技力が凄い。 ナオミ・ワッツはこの映画の中で田舎からハリウッドにやって来た女優志望の女ベティを演じる。 ベティが初めてのオーディションで見せる演技力が回りの映画スタッフを驚嘆させるシーンがある。 それをナオミ・ワッツが、演技の巧い天才的な素人として、又、巧く演じるのである。 オーディションはベティが初老の男に絡んでいくラブシーンなのだが、相手の男は「おいおい、そこまで入れ込んだら本気になっちゃうぜ。」て感じで一瞬引いてしまう程濃厚なエロチシズムを発揮するのだ。 その後、ベティは気だての優しい純朴な女性に一瞬にして戻ってしまう。つまりナオミ・ワッツはそういった複雑な「演じわけ」や「落差」が表現できる女優なのである。 更にナオミ・ワッツは、映画前半での素直で優しいベティから、記憶喪失のリタが自分の正体に気づきかかけてからの、神経質で嫉妬深いベティまで、まるで別人かと思えるような天才的演技を見せてくれる。 リンチ監督は、本作に限らず、こう言った、めくるめく入れ子細工的世界が好きだが、、このナオミ・ワッツの演技力は、まさにそんなリンチワールドにうってつけなのではないかと思う。 勿論、作品の構成からみれば、煌びやかなハリウッド女優イメージを体現したルックスを持つローラ・エレナ・ハリングの存在も非常に重要であり、彼女がリンチワールドにいつも漂う「濃密な官能」の密度をより高めているのも忘れてはならない。 そしてこの二人の女優を配しての、ベティとリタの初夜シーンは、まさにリンチ監督が描く理想の物語内「レズシーン」ではなかったかと思う。 リンチ作品としては、全く違うものを描き出したと言われるヒューマンドラマ「ストレイト・ストーリー」の次作に当たる、この「マルホランド」は、元の難解幻惑路線に戻ったリンチ作品として位置づけられるらしい。 しかし、確かにこの映画、難解ではあるが「ストレイト・ストーリー」で見せた人間表現のストレートさ(ギャグじゃないよ)は、この作品にも充分に現れていると思う。 単純に昔のリンチに戻った訳ではないのだ。 自分の家に闖入していた記憶喪失のリタに対して異様に優しいベティが、レズビアンである事が判り、更に映画後半に全開になるリンチワールドで「夢落ち仕かけ」が観客に見え始める頃から、ベティの愛と苦悩が実に「ストレート」に伝わってくるのだ。 chikaなんてクラブ・シレンシオで女性歌手の悲恋の歌を聞きながら泣いている二人を見てシーンときたもの。 リンチ監督が作り出す迷宮は、その迷宮ぶりによって、いくら生の感情を作品の中にインサートしてもそれが直接的に観客に届くことはなかったと思う(ワイルド・アット・ハートでさえ)。 それが「ストレイト」をきっかけにして、しかも全体のリンチらしさも損なわず映し出せるようになってきていると思う。 これは、chikaのように、リンチ作品に対しては、抽象画を鑑賞するスタンスのごとく「理屈を問わずして、ただ感じた事だけを大切にしよう」と決めた人間にも非常に助かる変化である。 だからと言って「謎解き」の楽しさというか、その迷宮ぶりがリンチ映画の魅力である事は、この「マルホランド」から失われている訳ではない。 Web上の日本語サイトにも随分、「マルホランド解明」があるので一度覗かれたらどうかと思う。 こういった「解明」があった後でも、リンチ監督が作り上げた世界の色艶は失われず、逆に光を増すのだからリンチは、やっぱり凄い「映画」作家なのである。 ”マルホランド・ドライブ"とは、ロサンゼルス北部の山を横断する実在の通りの名前なのだと言う。 若者たちが夜中に猛スピードでレースをする場所としても有名らしい。 曲がりくねった暗く危険な道だが、その眼下にはハリウッドのきらびやかな街並みが一望できるのは、実際に映画の中でも何度も描写されている。 その道で起こった事故から始まるこの物語、ある意味、マルホランド・ドライブの存在自体がこの映画の簡略図でもあるようだ。 すこしだけリンチ監督は観客に優しくなっている。 chikaのような人間がこの映画を見ても、映画の前半が「夢」であり、後半に現実がある事が判る。 それに、なんとこの映画の主力テーマが、超越した彼岸にあるのではなく「ハリウッド世界のレズ恋愛に重ねたドロドロ愛憎」にある事も判るのである。 chikaは、リンチ監督のこんな「変化」を大いに歓迎している。 PS それにしてもハリウッドのメイク技術は凄い、、。演技力もあるんだろうけど、ナオミ・ワッツの変貌ぶりなんて、凄いもの。 監督・脚本:デビッド・リンチ 純粋な感想からまず一言。ナオミ・ワッツの演技力が凄い。 ナオミ・ワッツはこの映画の中で田舎からハリウッドにやって来た女優志望の女ベティを演じる。ベティが初めてのオーディションで見せる演技力が回りの映画スタッフを驚嘆させるシーンがある。それをナオミ・ワッツが、演技の巧い天才的な素人として、又、巧く演じるのである。 オーディションはベティが初老の男に絡んでいくラブシーンなのだが、相手の男は「おいおい、そこまで入れ込んだら本気になっちゃうぜ。」て感じで一瞬引いてしまう程濃厚なエロチシズムを発揮するのだ。 その後、ベティは気だての優しい純朴な女性に一瞬にして戻ってしまう。つまりナオミ・ワッツはそういった複雑な「演じわけ」や「落差」が表現できる女優なのである。 更にナオミ・ワッツは、映画前半での素直で優しいベティから、記憶喪失のリタが自分の正体に気づきかかけてからの、神経質で嫉妬深いベティまで、まるで別人かと思えるような天才的演技を見せてくれる。 リンチ監督は、本作に限らず、こう言った、めくるめく入れ子細工的世界が好きだが、、このナオミ・ワッツの演技力は、まさにそんなリンチワールドにうってつけなのではないかと思う。 勿論、作品の構成からみれば、煌びやかなハリウッド女優イメージを体現したルックスを持つローラ・エレナ・ハリングの存在も非常に重要であり、彼女がリンチワールドにいつも漂う「濃密な官能」の密度をより高めているのも忘れてはならない。 そしてこの二人の女優を配しての、ベティとリタの初夜シーンは、まさにリンチ監督が描く理想の物語内「レズシーン」ではなかったかと思う。 リンチ作品としては、全く違うものを描き出したと言われるヒューマンドラマ「ストレイト・ストーリー」の次作に当たる、この「マルホランド」は、元の難解幻惑路線に戻ったリンチ作品として位置づけられるらしい。 しかし、確かにこの映画、難解ではあるが「ストレイト・ストーリー」で見せた人間表現のストレートさ(ギャグじゃないよ)は、この作品にも充分に現れていると思う。 単純に昔のリンチに戻った訳ではないのだ。 自分の家に闖入していた記憶喪失のリタに対して異様に優しいベティが、レズビアンである事が判り、更に映画後半に全開になるリンチワールドで「夢落ち仕かけ」が観客に見え始める頃から、ベティの愛と苦悩が実に「ストレート」に伝わってくるのだ。 chikaなんてクラブ・シレンシオで女性歌手の悲恋の歌を聞きながら泣いている二人を見てシーンときたもの。 リンチ監督が作り出す迷宮は、その迷宮ぶりによって、いくら生の感情を作品の中にインサートしてもそれが直接的に観客に届くことはなかったと思う(ワイルド・アット・ハートでさえ)。 それが「ストレイト」をきっかけにして、しかも全体のリンチらしさも損なわず映し出せるようになってきていると思う。 これは、chikaのように、リンチ作品に対しては、抽象画を鑑賞するスタンスのごとく「理屈を問わずして、ただ感じた事だけを大切にしよう」と決めた人間にも非常に助かる変化である。 だからと言って「謎解き」の楽しさというか、その迷宮ぶりがリンチ映画の魅力である事は、この「マルホランド」から失われている訳ではない。 Web上の日本語サイトにも随分、「マルホランド解明」があるので一度覗かれたらどうかと思う。 こういった「解明」があった後でも、リンチ監督が作り上げた世界の色艶は失われず、逆に光を増すのだからリンチは、やっぱり凄い「映画」作家なのである。 ”マルホランド・ドライブ"とは、ロサンゼルス北部の山を横断する実在の通りの名前なのだと言う。 若者たちが夜中に猛スピードでレースをする場所としても有名らしい。 曲がりくねった暗く危険な道だが、その眼下にはハリウッドのきらびやかな街並みが一望できるのは、実際に映画の中でも何度も描写されている。 その道で起こった事故から始まるこの物語、ある意味、マルホランド・ドライブの存在自体がこの映画の簡略図でもあるようだ。 すこしだけリンチ監督は観客に優しくなっている。 chikaのような人間がこの映画を見ても、映画の前半が「夢」であり、後半に現実がある事が判る。 それに、なんとこの映画の主力テーマが、超越した彼岸にあるのではなく「ハリウッド世界のレズ恋愛に重ねたドロドロ愛憎」にある事も判るのである。 chikaは、リンチ監督のこんな「変化」を大いに歓迎している。 PS それにしてもハリウッドのメイク技術は凄い、、。演技力もあるんだろうけど、ナオミ・ワッツの変貌ぶりなんて、凄いもの。 PR